震災時のグランディ・21について 【ボランティア記述】

東日本大震災は2011年3月11 日14:46、突然やってきた。
当然、グランディ・21も大きな被害を受けたが、さすがに倒壊の危険はなく、被災地支援の最前線として、その機能を果たすこととなった。
消防隊、各国からの支援隊の基地となった。

次の週。セキスイハイムスーパーアリーナは、被災地最大の遺体安置所となった。
ご遺体は主に、ヘリコプターや専用のトラックで沿岸部から運ばれてきた。
アリーナ北側、外では、ご遺体の洗浄作業が行われ、そのすぐ中で検視などが行われた。

仙台市の市バスが市内とグランディ・21を臨時バスで結んだ。
そのバスを降りてくる人の案内誘導のボランティアを、グランディ・21ボランティアは行った。
初めてグランディ・21に来られる人ばかりだった。
あるときは、私たちの仲間が、そのバスから降りてきてしまった。

アリーナの玄関内は、悲鳴を上げて泣く人、床にへたり込んでしまう人、が、たくさんおられた。
ロビーには、ご遺体の特徴を書いた紙がたくさん貼ってあった。

車で来られて迷われていた、ある若い夫婦を、誘導案内し、小一時間ほどすると、アリーナの中から出てきた。
アリーナ内には関係者しか入れない。ロビーに貼ってある特徴を見てから、可能性を係員(仙台市の職員など)に告げると、直接、棺まで行って良いことになっていた。
その若い夫婦は、手続きを済ませて、煙草を吸いに、外に出てきたようだった。
私が軽く会釈すると、
「先ほどはありがとうございました。やっと子どもに会えました。」
と、おっしゃった。

アリーナの外、A,B駐車場には、外国人部隊、消防隊がテントを張っていた。
英語で彼らに語り掛けると、親しげに返事をしてきた。
比較的最後までいたのは、ロシア、トルコ、そして韓国。
彼らは、生存者捜索をしながら、ご遺体を多く収容した。
ロシアの人たちからはボルシチをいただいた。
韓国人も意外に親しげに話をしてくれた。
とっても人懐っこい、トルコの人たちは、いろんな物資を置いて、帰国していった。
こうやって被災地には多くの外国人が来てくれた。
このことを私たちは忘れない。

遺体安置所は6月末まで続いた。
そして、9月。
震災後初めて、アリーナで、ディズニーオンアイスが開催された。
9月10日(土)・11日(日)、桑田佳祐さんの復帰後初のライブ「宮城ライブ ~明日へのマーチ!!~」が開催。
会場周辺はお祭り一色となって、久しぶりに、笑顔あふれるアリーナとなった。

ひとめぼれスタジアム宮城は、柱が折れ、大型映像装置が壊れ、改修に1年半を要した。
2012年8月、FIFA U-20女子ワールドカップが開催され、再びスタジアムは歓声にあふれた。
日本チームのメンバーは、GK 池田咲紀子, GK 武仲麗依, GK 望月ありさ, DF 木下栞, DF 坂本理保, DF 浜田遥, DF 中村ゆしか, DF 和田奈央子, DF 高木ひかり, DF 土光真代, MF 加藤千佳, MF 仲田歩夢, MF 藤田のぞみ, MF 猶本光, MF 田中陽子, MF 柴田華絵, MF 中里優, FW 横山久美, FW 田中美南, FW 道上彩花, FW 西川明花 だった。