私と宮城スタジアム   
〜序章〜
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その1, その2, その3, その4, その5, その6, その7

前節からの続き)
 21世紀があけた。1月1日、宮城スタジアムをのぞむ場所にきていた。来年の今頃は大変だろうな、と思っていた。
 そんな予感をさせる、大雪の宮城スタジアムだった。
 この頃、漠然とではあるが、国体やワールドカップが行われる前に、その後のことを考えておかないとダメだし、考えるべきは行政というよりも、自分たち住民ではないか、と考えていた。無論、そこには愛する宮城スタジアムがあるし、彼女は決して悪くはない。
 いわゆる箱物行政。何かの建造物を造って、さあ使え、という。その建造物を建設する前に、建造物に対して多くの人の意見を採り入れることは必要不可欠であるが、それは理想論ではある。十人十色で、宮城県の人全員が満足するような施設を建設することは不可能だし、日本的な妥協の産物が生まれるのは、ゆがんだ民主主義(といわれているもの)のせいでもある。行政も悪いが、住民も悪いのである。1つの建造物に多くの希望を採り入れてしまったら、結果、どうしようもないものができあがるのは目に見えている。だから、性格付けということが必要なのだ。
 彼女、宮城スタジアムは、国体開催というバックグランドの中で生まれ、ワールドカップ開催という肉付けの中で変貌していったのである。国体とワールドカップという、相反する2つの目的のために生まれた宮城スタジアムは、妥協の産物の中ではすべてにおいて秀でているものと、私は絶賛している。
 国体は日本の国威高揚のため、スポーツ文化の育成のため、など多くの目的をもって生まれたナショナルスポーツフェスティバルである。だが、近年は競技スポーツよりも生涯スポーツ的要素が大きくなり(というより、各種目別協会に見放されたというべきでもあろう)、記録よりも開催県のスポーツ文化育成に重きが置かれるようになってきている。それでも、国家的行事であるので、開催県は県をあげて開催の成功にひたすら走るのである。もっと肩の力をぬいて、リラックスした国体開催にしたら、開催県優勝などの極めて滑稽な状況にはならないのに、とつくづく思う。(そのおかげで地元町内会の副会長をしている私はとんでもないことに巻き込まれることになったが、まあ、そのことは後で話そう)
 一方で、ワールドカップは4年に一度のサッカーの世界選手権である。サッカーという競技スポーツの最高峰の大会なのだ。優勝とそれ以外が、これほどくっきりと分かれる競技も珍しい。優勝すれば天国。それ以外は全部地獄なのだ。映画The Cupは言う、ワールドカップとは1つのカップを目指して争う、文明と文明のぶつかりあいなのだ、と。多種多様な民族が集うワールドカップは、国の威信とか、愛国心だとかが、赤裸々にぶつかりあう場所である。
 全く性格の違う2つのスポーツ大会のために建築された、宮城スタジアムはその目的だけでも悲劇のヒロインになりえた。ピッチとトラック、という問題以上に違う、基盤の違いがあるのだ。

 そう考えても、宮城スタジアムは美しい。いや悲劇のヒロインだからこそ、冷たい美しさに惹かれるのかもしれない。


2001/01/01午後2:00撮影