私と宮城スタジアム   
〜序章〜
前の節はここ
その1, その2, その3, その4, その5, その6, その7, その8, その9, その10, その11

前節からの続き)
 時間をちょっとだけ遡る。大事なことを言い忘れていた。
 2001年は国体と障害者スポーツ大会の年である。5月27日には、第1回全国障害者スポーツ大会リハーサル大会が行われた。私はほとんど初めて障害者スポーツの正式な大会を見た。う〜ん、ここまで激しいとは正直思わなかった。車椅子のレースは非常に迫力があって、健常者があの車椅子で一緒に戦ったらきっと負けるだろうな、と思ったし、目の不自由な人の伴走者は心の通じた人でないと無理だなあと思った。もちろん、子供たちも同じ気持ちで見ていただろう。リハーサル大会とは言え、非常に面白いゲームであった。故に、朝から晩まで釘付けとなった。後から考えると、こんなにゆったりと競技を見たのは初めてであったし、実はこれから後、ゆっくり見られる状態にはなくなっていく。

 真っ青な国際フットサルが終わって、7月、8月と過ぎていく。
 盛り上がりにくい宮城県民もようやく国体色に染まってきた頃、夏期国体が開幕した。グランディ・21総合プールである。そうして、国体、障害者スポーツ大会と、ビッグイベントが続いて開幕していった・・・・

 この頃のことは、日記に詳しいので、とりあえず、これで「私と宮城スタジアム」〜序章〜は終了することにしたい。


2001/4/15撮影