グランディ・21ボランティアセンター
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2011/1/1 revised
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ボランティアの無償性と、スポーツボランティア
 文部科学省の平成4年8月3日付文書『生涯学習審議会「今後の社会の動向に対応した生涯学習の振興方策について(答申)」の送付について』によると、「ボランティア活動は、個人の自由意思に基づき、その技能や時間等を進んで提供し、社会に貢献することであり、ボランティア活動の基本的理念は、自発(自由意思)性、無償(無給)性公共(公益)性、先駆(開発、発展)性にあるとする考え方が一般的である。」とある。無償性がボランティアの要件であることは、実は日本だけといっても過言ではない。「無償性、無給性」が独り歩きしている感がある。
 それを追及する前に、この「無償性」について、甚だしい勘違いを生んでいるので、そこから考えよう。
 そもそもボランティアの「無償性」というのは、ボランティア側から見た「無償性」であり、ボランティアを受け入れる、あるいはボランティアをお願いする側の問題ではない。ボランティア活動に対する対価を決して要求しない、という意味の、ボランティアサイドの「無償性」であり、それに対して、ボランティア受け入れ側が、ボランティアが活動してくれたことでその活動に対して「お礼をする」をするのは、「無償性」には反しない。
 だから、たとえば、寝たきりの老人が介護ボランティアの介護を受けた時に、お礼をしたいという気持ちは当然のことである。通常介護ボランティアを受けるお年寄りは金銭的に苦しい場合があるから、お礼はしたくてもできない。このときに、何とかしてお礼をしたいと思い、それを形にして、極論すれば、お金にして、当該ボランティアに何とか受け取ってもらう、という状況になったときに、仮にそのボランティアがその「お礼」を受け取ってしまった場合はどうなるか。ボランティアは失格なのか。
 ボランティアの無償性はあくまでも、精神論の話であり、かつ、ボランティアサイドの話であるから、この場合の「お礼」に対して、受け取ったことについて、負担に思う必要はないのである。最初にボランティア活動すると思った時には、すでに「無償性」を念頭に活動に入ったのであるから、お礼を受け取る、というのはあくまでも相手側の行動の結果でしかない。
 「無償性」に関するこの辺の勘違いは、たとえば、安易に集められる、無賃労働者としてのボランティアで代表される。
 無賃労働者的なことを、巷ではよく「今日の仕事はボランティアだな」という表現で語られる。これが日本における、ボランティアを相当に勘違いして蔓延している大きな理由でもある。
 だから、ボランティアを語るときに、私は、無償性を出してはならない、と思っている。大きな勘違いを生み、さらに無賃労働者というあまりにも酷いレッテルを貼られ、それが正義と思いこむ、誤解を引き起こす、要因になるだけなのだ。
 卑近な例でいえば、町内会や自治会、PTA役員である。役員手当を出している町内会などもあるから、話はややこしい。いや、これらは「自発性」はないから、ボランティアではない、という人もいるが、それもおかしなことだ。半ば強制的に割り当てられる場合があるにせよ、その「強制」が、身体的拘束など法律に違反するようなものではない限り、受け入れる最後には「自発的」に受け入れたはずである。そこに役員手当がつくのは、その会員が認めれば、ボランティア側で要求したわけではないので、何ら問題はないはずである。
 こうした「無償性」の概念がはびこりすぎて、やれ交通費はどうする、やれ食事代はどうする、はては、やれ汚れた服のクリーニング代はどうする、と、ボランティアに対して、「気にしすぎる」という、本末転倒な話となる。ボランティア活動は、本来「労働」ではなく、あくまでも「自発的活動」であるのだから、それに対して、交通費や食事代を、少なくとも区別して、考える必要はない。食事の時間をまたがる活動のときは、お弁当を持参したり、電車ではなく自転車で来たり、とボランティアも工夫するからである。ただ、ボランティアの受け入れ側のあくまでも「気持ちの問題」で、お弁当を出したり、交通費を出したり、するのわけだ。このときに明らかに通常かかる交通費以上の「交通費」を出す場合もあるが、これが「無償性」を勘違いした「お礼」の代わりとなっている現実もあるから、悲しいのだ。
 では、有償ボランティアというのはありうるのか。
 これが今回のお題である。
 結論から言うと、十分にありうるのである。この場合、ボランティアサイドから報酬を要求するようなボランティア活動となる。
 有償ボランティアに何があるのか。ウィキペディアによると、『青年海外協力隊や国連ボランティア、国際交流基金日米センター日米草の根交流コーディネーター派遣プログラム、国境なき医師団海外派遣ボランティア、日本国際ワークキャンプセンター中長期ボランティア、日本青年奉仕協会の「青年長期ボランティア計画」(ボランティア365)、地球緑化センターの「緑のふるさと協力隊」、オイスカ・インターナショナル研修センターボランティアなど』とのことだ。
 これらは世の中で一般的にボランティア活動として多く受け入れられている、社会福祉協議会の扱うボランティアとは違い、専門的な部分が多いボランティアと言える。このような専門的ボランティアで、よく知られるのが、災害ボランティアと、我々スポーツボランティアということになる。災害ボランティアのうち、救助活動を行うボランティアの中には、有償ということもあるが、通常災害ボランティアも、スポーツボランティアも無償である。
 ただ、スポーツボランティアには、スポーツ少年団のコーチや団長も含まれ、彼らは本当は無償ボランティアというわけにはいかない。なぜなら、大事な時間、それも生業の時間を削って、スポーツの指導などを行い、他の組織と対峙し、あるいは強調しながら、スポーツ少年団を経営しなければならないからだ。
 ドイツに見られるスポーツシューレはまさにこのスポーツ少年団を含んだ、全年齢層に対応するようなスポーツ組織であり、NPO湘南ベルマーレスポーツクラブがドイツの組織に近い。これはもはやボランティアではなく、一つの企業としてとらえた方がよい。こうなるとボランティアと呼べないので、無償性・有償性という議論がナンセンスであるが、少年団のコーチにコーチ料を払うことはどうなのだろうか。むしろ、コーチ料をいただくから、指導をする、というボランティアもあり得ないか?
 これがボランティアサイドから、活動=労働に対する対価を要求する有償ボランティアである。
 こういう手法をとれなくなると、少年団からはコーチはなくなってしまう危険性もある。というのも、長引く不況と、特に公務員への厳しい締め付けは、こうしたボランティアをなくすことにつながる。かつては公務員は残業の代わりに、自分の住む町内やマンションにおける、公共的活動に進んで奉仕し、そのことによって社会の潤滑油的役割を果たしていた。ところが今は、そういう公務員こそ、整理の対象になるくらい、厳しくなってきている。
 比較的社会奉仕できる立場にある職業の人が、より積極的にボランティア活動へ参加できる状況は、私は、むしろ以前よりも、少なく、かつ、ひどくなっているのではないか、と考えている。
 有給休暇を使ってボランティアをするという場合もあるが、それって、臨時のボランティア活動であって、定期的なボランティアに合わないのではないか。まして、文部科学省が生涯教育の場として、無償性を強調するようなボランティア活動を期待しても、どだい無理な話ではないか。加えて、政府や自治体からの要請で、ボランティア活動するわけでもなかろう。
 最初の文部科学省の文書に代表される、ボランティアの定義の中に、無償性をうたう限り、種々の問題点、矛盾点がつきまとうのではないか、と思う。ボランティアの語源通り、自発的活動という意味合いだけで、ボランティアという言葉を使い、場合によっては、対価を求めてもよいような、有償ボランティアも積極的に、ボランティアの中に組み入れてはどうだろうか。
 定年退職し、年金生活を送る人たちも、少しでも小遣い程度の稼ぎがあれば、積極的に社会活動に入ることができるだろうし、それがボランティアであれば、なおさらだ、と私は思うがどうか。サッカーのボランティアで言えば、第4審判や、ライン引き(ペイント)、芝生管理、映像管理、データ処理など、種々の状況において、そうした有償ボランティアが活動できる要素がありそうだ。
 有償ボランティアに関する議論については、労働政策研究・研修機構(JILPT)の中に興味ぶかいレポートがある。『「有償ボランティア」という働き方 ─その考え方と実態─ 』である。このレポートは、2004 年 11月に判決が出た「有償ボランティア」をめぐる法人税課税に関する裁判(いわゆる「流山裁判」)の論点をまとめた上で、ボランティアに謝礼金という考え方で支払われる、アメリカの「国内ボランティア振興法」の中のスタイペンド(謝礼金)を紹介している。ただ、このレポートにしても、福祉関係のボランティアにその考察が限られているのが残念ではあるが。
 また、有償ボランティアと労働者の区分の関係で参考になるレポートが同じ労働政策研究・研修機構(JILPT)から『就業形態の多様化と社会労働政策 ―個人業務委託とNPO就業を中心として―』として出ており、そこから図を引用した。

 上の図でわかるように、お金のやりとりだけで、有償ボランティアと労働者を区別するのは基本的にかなり無理がある。つまり、ボランティア活動に対する対価の求め方も大きな要素となる。
 ところが、『「有償ボランティア」という働き方 ─その考え方と実態─ 』のレポートからもうかがえるように、活動の対価を求めるかどうか、という意思表明に関する明確さについてはあまり触れられていない。謝礼金が対価かどうかに関する議論も明確さを欠いているが、これは日本にボランティアに関する世間のコンセンサスがまだなされておらず、法律の整備も全く進んでいないことに起因しているものと思われる。また、これまでのボランティア論のほとんどがボランティアサイドからの視点ではなく、雇用主やボランティア団体の視点で論じられ、かつ、そこにスポーツボランティアという視点は全くなかった。同じ著者による問題提起『「有償ボランティア」は労働者か?』という記事もあるが、依然としてNPO組織の視点による問題提起であり、ボランティア自身の視点を欠いているのが甚だ残念である。
 さて、謝礼金スタイペンドについては、それを採用しているスポーツクラブが一例(釜石シーウェイブスRFC)あるが、ほとんどは採用されていないスタイルであることは確かであり、対価かどうかは別にして、この制度の普及こそが、スポーツボランティアにとって必要不可欠ではないだろうか。
 上述のレポートなどを散見すると、どうやら、ボランティアというと、何らかの団体が何らかの目的で、集めるものだけを指しているような感がある。仙台・みやぎのスポーツボランティア団体、SV2004のように、スポーツボランティアが組織し、そこから各種スポーツイベント(スポーツに限らないし、限る必要はないが)へ紹介するようなシステムではない。介護目的のNPO法人に登録される有償ボランティアという括りで、ボランティアというものを俯瞰する限り、固定観念の呪縛から出ることはできないのではないか。
 下記の図は、スポーツボランティアの区分を示した一例である。


 誤解を恐れずにいえば、ボランティアという名前は同じでも、スポーツボランティアは上記のように種々の括りがあり、そう単純ではないので、一般的なボランティアとは違う。また、このうち、(1)〜(4)を、通常スポーツボランティアと呼んでいる。とくに(4)はサポーターと呼んだ方が意味が近い感じがする。サポーターというのはラテン語が語源であり、下から支える、という意味がある。これは、サッカーゲームの運営からサッカーチームを支えたことから、サポーターと呼ばれ、その後、ひいきのサッカーチームのファンをサポーターというようになり、ボランティア部分から離れた由縁である。最近は、スポーツボランティア以外で、ボランティアの意味合いでありながら、積極的に「サポーター」という言葉を使って、ボランティアを募集する場合があり、スポーツの分野から一般化した言葉ともいえよう。
 こういう視点からすると、上述の有償ボランティアという概念を、スポーツボランティア、とりわけサポーターボラに当てはめるのは甚だ無理があることが理解できよう。
 最近は各市町村に、総合型地域スポーツクラブができ、多くはNPO法人化しているが、このスポーツボランティアはそのスポーツクラブの中核的存在になるはずなのに、実際にはあまりなっていないというのは、有償ボランティアという考え方が障害になっていることは間違いない。つまり、上述したように、定年退職し、年金生活を送る人たちも、少しでも小遣い程度の稼ぎがあれば、積極的に社会活動に入ることができるだろう。それはボランティアではない、と否定する考え方こそ、総合型地域スポーツクラブ発展の障害になっていると言っても過言ではない。
 そして、もっといえば、スポーツイベント開催には、ボランティアの存在は必須なのに、イベント毎に離合集散を重ねるのはなぜなのだろうか。各イベント毎に、スポーツボランティアをそれぞれに、一つの型に押し込んで考えようとするからである。あるサッカーの試合では、無償ボランティアだけで構成し、他はアルバイトで対応するとか、あるバスケットボールの試合では、コート設営から運営まで全てボランティアのみで構成するためボランティアに一律謝礼金スタイペンドを払うとか、スポーツイベント主催者によってボランティアのとらえ方が違うのである。
 ボランティアは個人主義であり、それぞれに考え方や、関わり方も違う。それを認めた上で、同じボランティアでも、Aさんは無償、Bさんは有償、Cさんは有償だけどほんのちょっとしたお礼のみ、というような、曖昧さがあってもいいのではないか。スポーツボランティアには活動の内容や種類も多岐にわたるから、それぞれに有償、無償があってもいいのではないか。
 そういうボランティアサイドにたった視点で、スポーツイベントは開催できないか。
 いわゆるスポーツコミッションを仙台、みやぎの場で展開する場合、このスポーツボランティアの取扱いや、考え方は、もっと議論されるべきものと考えている。その場合、対価のみで考えるボランティア論は間違っていると言える。あくまでも結果的に有償であり、無償であり、というのがスポーツの精神に近いのではないか。
 
(2011/1/1 新年初頭にあたって・・・)
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